カジノは芸術?それともエンターテインメント?

普通の人、つまりギャンブラー以外の人は、カジノに対して、タバコの煙が立ち込めアルコールが至る所で振る舞われているような場所というイメージを持っています。しかしこれは過去の話であり、90年代の映画のシーンで目にするような光景です。

時代の変化とともに、そうした先入観は消え去りました。ロンドンでは近年、最新・最大・最高のカジノが、これまでのイメージを塗り替え、アートという新たな材料を使って、カジノをユニークな場所へとリノベーションしています。

また最近では、インターカジノのようなオンラインカジノも話題を集めています。

そのカジノは、ヒッポドロームカジノ(Hippodrome Casino)で、ヒッポドロームの 「精神」を体現するために、2014年に営業を再開したカジノです。この新たに生まれ変わったカジノは、ギャンブルと美学(アート)という異なる二つの側面を融合することに成功しました。また、イギリス初のデジタルアーティスト・イン・レジデンスを採用し、新時代のスーパーカジノという新たな姿に生まれ変りました。

シアターズトラストとイングリッシュヘリテージの指揮のもと、5千万ユーロがこの第2級指定建造物をエドワード7世様式に修復するためだけに費やされました。

内装にはデジタルアーティストであるトーマス・D・グレイによる57点のパネル作品が使われており、新鮮な印象となっています。トーマス・D・グレイは、ジミー・トーマスとその息子のサイモン、およびその他の事業主たちによって、デジタルアーティスト・イン・レジデンスとして任命されています。

ヒッポドロームは119年の歴史を持つ建造物で、レスター・スクエアとチャーリングクロスが交差する角にあります。 劇場建築家の第一人者であるフランク・マッチャムが、エドワード・モスとその一族のために、この建物を25万ユーロで建設しました。当時は劇場というよりは、屋内サーカスのような建物で、ミュージックホールとして発展していました。

こけら落としには10歳のチャーリー・チャップリンが主演を飾りました。

ヒッポドロームの修復の歴史は1909年に始まりました。マッチャムが当時の建物を、適切な音楽ホールへと造り変えたのです。そして第一次世界大戦終了後には、ロンドン最初のジャズホールとなりました。

その後1980年代に、何らかの理由によって起こった爆発事故が原因で、明かりの点滅するブラックボックスのような状態になってしまいます。1990年代にはただのどんちゃん騒ぎの場所と化し、2005年に入ってからはアルコール販売ライセンスの更新すらも認められず、その後まもなく閉鎖されてしまいました。

4年後の2009年にトーマス親子がこの建物を埃のかぶった宝石として再発見し、完全に修復したのです。

デジタルアーティスト・イン・レジデンスとして採用されたトーマス・D・グレイは、 8回のプレゼンテーションを経てようやく、メインフロアの修復に関する彼のアイデアを検討してもらえる機会を得たと言います。彼はシカゴで生まれ、その後24年間ロンドンに在住したアーティストで、ザハ・ハディドと提携して 2009年にバーナムパビリオンを創り上げました。彼の制作会社であるグレイサークルは、『ロード・オブ・ザ・リング』劇場版の見事な背景効果を創り出した会社です。

サイモンはスーパーカジノにアートを導入しました。ヒッポドロームを訪れるすべての人に、例えギャンブルをやらなくても楽しんでもらいたいという考えによるものでした。訪れる人たちは、カジノでアートを観賞し、気分良く時間を過ごすことができるのです。

ヒッポドロームはウエストエンドのDNAが生まれる場所で、25万人の人々が毎年ここを訪れています。ヒッポドロームの壁という壁に飾られたアートは、すべての来場者を楽しませてくれるのです。

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